ロボカップ日本委員会について

フェロー

ロボカップ日本委員会フェロー(RJC fellow)制度は
「ロボカップに関して責任ある立場で長年にわたり指導的役割を果たし,日本におけるロボカップ活動の発展に多大なる功績があり理事会が認めた方」
を顕彰するため2018年に制定されました.
フェロー称号の授与により,これまでの貢献に対して尊敬と感謝の意を本会として示すとともに,授与された方が「フェロー」として引き続き積極的にロボカップの活動に参加することを促すことで,本会の活性化を図ることを目的としています.
ロボカップ日本委員会フェロー制度の趣旨をご理解いただきフェローの皆様には、名刺等に「ロボカップ日本委員会 フェロー(英文表記:RJC fellow)」と積極的に明記していただき、今後の活動にお役立ていただきたいと考えます。


フェロー称号贈呈者一覧(五十音順)



氏名 所属(受賞時) 年度
浅田 稔 大阪大学教授 2018年
北野 宏明 ソニーコンピュータサイエンス研究所社長 2018年
小谷 泰造 (株)インターグループ取締役会長 2018年
高橋 友一 名城大学教授 2018年
田所 諭 東北大学教授 2019年
松原 仁 公立はこだて未来大学教授 2019年

浅田 稔


2018年度フェロー
大阪大学教授

浅田稔氏は1953年に滋賀県で生まれ,大阪大学基礎工学部に入学,1977年に卒業し,同大学院に進学した.
1979年に修士課程,1982年に博士後期課程修了した.
1982年から同大学院の助手,1988年から大阪大学工学部講師,1989年から助教授,1995年から教授,2019年3月に定年退職を迎えたが,同年4月に大阪大学先導的学際研究機構共生知能システム研究センターの特任教授に着任している.
この間,JST ERATO 浅田共生知能システムプロジェクト研究総括,JST RISTEC自律性の検討に基づくなじみ社会における人工知能の法的電子人格,NEDO高効率・高速処理を可能にするAIチップ・次世代コンピューティングの技術開発「未来共生社会に向けたニューロモルフィックダイナミクスのポテンシャルの解明」総括等を行ってきた.
日本ロボット学会評議員,理事,副会長,人工知能学会理事,日本赤ちゃん学会理事などを歴任し,現在,日本ロボット学会会長である.
お洒落な帽子がトレードマークである.

浅田稔氏はプロ野球チーム阪神タイガースの熱烈なファンである.一時期はEメールのシグネチャに前日の阪神タイガースの試合の感想を1行程度で書いていたことがあった.研究室ゼミのメインスピーカー担当の学生が明日の自身の研究発表資料よりも阪神の試合結果の方が気になっていた事もある.

浅田稔氏はロボカップの設立者の一人である.
Springerから発刊されたRoboCup-97:Robot Soccer World CupIのPrafaceによれば,1993年6月に浅田稔氏,北野弘明氏,国吉康雄氏を含む研究者らがロボット競技会の立ち上げを決めており,当時はRobot J-Leagueという名前だったようである.
その後,国外の研究者からの要請により国際的なプロジェクトに拡張することになり,Robot World Cup Initiative,RoboCupという名前でランドマークプロジェクトとして発足することになった.
1996年に大阪の千里中央で行われた IEEE/RSJ 1996 International Conference on Intelligent Robots and Systems(IROS96)にてプレ大会を開催,1997年に名古屋でのロボカップ第一回世界大会を開催し,以降,毎年ロボカップ世界大会が世界各国を回って行われている.ロボカップの日本大会であるロボカップジャパンオープンも1998年より毎年日本の各地を回って行われている.
その間,浅田稔氏は1998年からロボカップフェデレーションのVice President,2002年からPresident, 2008年からTrustee memberとして活動している.
特にRoboCup2002ではGeneral chairとして大会を成功に導いた.また特定非営利活動法人ロボカップ日本委員会としても1997年から会長,2002年からBoard of Directorsを務めている.

1997年の第一回世界大会に比べ,現在のロボカップはリーグ数や参加チーム数が大幅に増え,またそこで繰り広げられる試合のレベルは大幅に向上している.この技術の向上もさることながら,ロボカップで培ったヒューマンネットワークや人材育成こそが最大の成果であると浅田稔氏は述べている.
これまで浅田稔氏は複数のチームを率いている.
1997年第一回世界大会から中型ロボットリーグでOsaka Univ. Trackiesを率いその年に優勝,RoboCup 2001で準優勝を果たしている.1998年より4足ロボットリーグでBaby-Tigers,2002年よりヒューマノイドリーグでOsaka Univ. Senchansを率いた.チーム名は贔屓のプロ野球チームにちなんだものである.特に,Trackiesはそのプロ野球チームのマスコットキャラクター「トラッキー」からきており,初代メンバーの頭文字を組み合わせてTrackiesとした.ただし,本来のトラッキーの英語表記は「TOLUCKY」である.また,ロボカップに出た初代のロボットには画像処理ボードとして富士通製のトラッキングビジョンが使われていたため,これにかけたという話もある.
2010年より大阪工業大学との合同チームTeam JoiTechを率い,RoboCup2013にはロボカップ世界大会 ヒューマノイドリーグ
アダルトサイズで優勝した.2014年からは標準プラットフォームリーグに移り,JoiTech-SPLとしてJapanOpen2016で優勝している.

北野宏明


2018年度フェロー
ソニーコンピュータサイエンス研究所社長

ロボカップ国際委員会の創設プレジデントであるが,ロボカップの仕掛人として,そのプロデュース,プロモーション,ビジョン創出に際し,甚大なる能力を発揮し,ロボカップを大成功に導いた.氏の経歴からあきらかなように,当初から国際感覚に長けていたが,学生時代英語弁論大会のチャンピオンだったそうで頷ける.ロボカップの名称に関しては,日本のJ-Leagueのスタートにちなんで,当初,Robot J-leagueの名称を提案し,海外の委員(当初から海外のメンバーをオルグしていた)から顰蹙をかい,創設時二人三脚で奔走した阪大浅田教授提案のRoboCupで落ち着いた.
大学時代はICU(国際基督教大学のことで,1980年入学)で物理を専攻した.それ以前は,ガジェット好きで,いろんなものを創って遊んでいたりしていたが,学問の基礎を習得するとの意図であったらしい.いまでは,信じられないが,大学卒業後の1984年,日本電気に入社している.国際感覚と人気の度合いで決めたそうであるが,入社後の落胆ぶりは想像するに難くない.氏の転機はCMU滞在であり,そこで,世界初の同時通訳可能の音声翻訳システムの開発に成功し,これにより,1993年 国際知能学会よりThe Computers and Thought Awardを日本人として初受賞した.これが契機となったか,同年 ソニーコンピュータサイエンス研究所に異動し,国内の研究者を集めて,グランドチャレンジと称した研究会を主催し,その一つがロボカップの題材であった.当時,先出の阪大浅田教授に加え,同じく阪大石黒教授,東大國吉教授(当時,電総研),はこだて未来大の大澤教授(当時,ソニーCSL),さらには電総研の野田研究員らが初期のメンバーとして参画していた.AIBOの開発に携わり,AIBOリーグ,現在のSPLの創設にも貢献した.
学問への興味の幅と深さ,さらに行動力は尋常ではなく,AIの観点から生物学の再構築を促したシステムズバイオロジーを創出し,1998~2003年 戦略的創造研究推進事業(ERATO) 北野共生システムプロジェクト総括責任者の期間に特定非営利活動法人システム・バイオロジー研究機構を設立した.2002年にソニーコンピュータサイエンス研究所の取締役副所長に,2008年から取締役所長.2011年 沖縄科学技術大学院大学教授.氏の類まれなる企画能力,広大なビジョン構想能力により,ブレーンとして政府関係の各種委員会などに参画している.

小谷泰造


2018年度フェロー
(株)インターグループ取締役会長

米国UCLA留学から帰国後、NHK勤務、大学講師を経て会議通訳者・翻訳者養成スクールを開校、1968年に語学サービス、国際会議運営業務を主とした㈱インターグループを設立。既存の国際会議の運営を請け負うだけでなく、自ら企画した国際会議や展示会を主催し運営。 
代表的なものとして、BIOJAPAN, NEW MATERIALS JAPAN, AI JAPANがある。
常に時代の先を読み、関連分野の研究開発を支援してきた。
ロボカップもその一つで、2006年、RC国際(Federation Japan)運営事務局をはじめ日本委員会の運営事務局を大阪市に誘致。以来それらの常設事務局を同社本社ビル内に設置し支援、現在は、国際(Federation Japan)運営事務局と(一社)ロボカップジュニア・ジャパンの運営事務局を担う。

高橋友一


2018年度フェロー
名城大学教授

高橋氏は1952年に名古屋市に生まれる.名古屋大学理学部物理学科を卒業,同大学院情報工学を終了した.1976年にNTT(当時,電電公社)に就職,武蔵野研究所に勤務した.NTTになった時に設立されたATRで出向し,3年間大阪に住む.ATR時代に関西の人を交流をもち,その縁で,1995年に大学に移った時に浅田先生に声をかけて頂き,RoboCup活動に参加した.
1997年の世界大会にサッカーシミュレーションリーグ,小型リーグやMIxed リーグに参加している中で,主に参加したレスキューシミュレーションリーグ(RSL)である.1998年当時,原宿にあった北野事務所でプロトタイプ作りから関わり,RSLの立ち上げ,Exec.として世界大会の運営に長年関わった.
1999年のRoboCup SymposiumでScientific Awardを受賞している.
2000年からロボカップ日本委員会の理事,2002年から2011年まで専務理事を務めた.又,2014年から2019年までジュニア部門が独立した(一社)ロボカップジュニア・ジャパン代表理事としてジュニアの活動を支えた.

田所 諭


2019年度フェロー
東北大学教授

田所論氏は1995年に阪神淡路大震災を自ら経験し、当時ほとんどなかったレスキューロボットの研究開発を推進すべく、様々なプロジェクトを研究代表者として精力的に実施してきた。2001年には、レスキューロボット研究開発のコミュニティを拡大すべく、ロボカップレスキューロボットリーグを立ち上げた。またレスキューロボットの実用化にも尽力され、2011年の福島第一原発事故に国産ロボットとして初め現場に投入されたロボット「Quince」の開発にも、東北大学・千葉工業大学・国際レスキューシステム研究機構の協力の下で取り組んだ。レスキューロボットの社会的要請は日々高まっており、国内外で研究・実用化と多面的に活動する田所諭氏の更なる活躍が期待されている。

1984年 東京大学大学院修士課程 修了
1993-2005年 神戸大学工学部 助教授
2002年 国際レスキューシステム研究機構 設立
2002-2006年 文科省大都市大震災軽減化特別プロジェクト(大大特)「レスキューロボット等次世代防災基盤技術の開発」PM
2005年 東北大学大学院情報科学研究科 教授
2006-2010年 NEDO戦略先端ロボットPI
2011年 福島第一原発事故にQuince投入
2012年 同 研究科長補佐,2014年 副研究科長
2014年~2018 内閣府 革新的研究開発推進プログラムImPACT「タフ・ロボティクス・チャレンジ」プログラム・マネージャー 
2016年〜2017 IEEE Robotics and Automation Society President

松原 仁


2019年度フェロー
公立はこだて未来大学教授

松原氏は1959年に東京で生まれる。 1986年に東京大学大学院情報工学専門博士課程を修了し、工業技術院電子技術総合研究所に入所した。 2000年よりはこだて未来大学の創立メンバーとして当大学の運営および教職に携わり、 2016年より同大学副理事長を勤めた。また、AI便乗サービスを展開する(株)未来シェアの創立メンバーでもあり、 2020年まで社長を勤めた。 2020年より東京大学に教授として異動し、現在に至る。

日本の人工知能研究の黎明期より分野の貢献に携わり、フレーム問題、ゲーム情報学など、人があまり手がけない分野を含めて、哲学からゲームAIまで幅広く研究活動を行ってきている。 2014年〜2015年には人工知能学会の元会長つとめている。コンピュータ将棋など人工知能によるゲーム研究の第一人者であるとともに、 AI手塚治虫プロジェクトなど、人工知能技術の一般社会への普及・啓発にも貢献してきている。なお、将棋については、自身が開発した将棋ソフトはともかく、当人はアマチュア五段の技量を持っている。

将棋以外の趣味としては、選挙予想と広辞苑がある。

ロボカップでは、1990年代の設立当初から関わり、人工知能分野の広い人脈を活かし、特に日本におけるロボカップの普及・発展に大きく貢献してきている。ロボカップ日本委員会では 1999年に専務理事、 2004年から2011年まで会長を務め、その活動の発展に大きく寄与した。